見えるものには限りがある
こんにちは。
「見えるものには限りがある」
大事なことなので3回言ってみました(笑)
突然ですがみなさん、グットポーズって分かるでしょうか。
「いいね!」で使われる、親指を立てたポーズのことです(^^)
目前に腕を可能な限り延ばしてそのポーズを作ってみてください。
ちょうど目線の先にグットポーズの親指が見えると思います。
それがあなたの視野です。
人は意識していないと、この世の全てが分かっているような気になるときがあります。
でも実際は腕を伸ばした先にある親指くらいの世界しかあなたは見ることができません。
反対に、あなたの横を通り過ぎた人の服の色をあなたは鮮明に思い出すことができるでしょうか。
通り過ぎた直後であってもそれをまともに思い出せる人はそういないでしょう。
私たちは普段多くの情報を絶えず処理しながら生きています。
でもそのうち、知覚している情報はごくごく限られたものだけなんです。
世の中に溢れ返っている情報に比べれば、私たちが手にできるものなんてのは針の穴くらいに小さく些細なものでしかありません。
・・・先日「エイリアニスト」というアメリカの歴史ドラマを見ました(^^)
エイリアニストと呼ばれる心理学者が、残虐な連続殺人事件の真相を心理学の面から仲間たちと追っていく歴史サスペンスドラマです。
なかなかに面白い、ボーリュームのあるドラマでした(^^)
「エイリアニスト―精神科医」という小説が原作となっているようなのですが、19世紀末を生きてきた人々の背景やその陰に潜む闇をとても忠実に再現しています。
その作り込まれた世界観は観る人をその世界にどっぷりと浸からせてくれる魅力があります。
主人公である心理学者ラズローが、学生時代にお世話になった恩師と対話するシーンがあります。
捜査に行き詰ったラズローが恩師に解決の糸口となるような知見、教えを乞う場面です。
恩師は学生時代の鳥類学の授業の思い出話をし、「大切なのは知識ではなく知識を得る過程だ」と説きます。
ラズローは目前にある事象に囚われてしまい、既知の知識で反論ばかりしてしまう自分の未熟さが事件解決を邪魔しているのだということを自覚していました。
ここから自分がどう成長していけばいいのか。
そのヒントを恩師に求めたのです。
恩師は一言「よく見ることだ」と答えます。
目の前にあるものも、自分自身も。
その短い言葉の中に含まれる多くの意味を噛み締めるようにラズローはただ頷くだけでした。
このシーンは私の中でとても印象に残る記憶になりました。
よく見ること。
一見すればとても当たり前の言葉で改めて口にするような言葉ではないように感じます。
それでも改めてそれを口にするのは、私たちができていると思っているそれらが実はできていないことの表れなんでしょうね。
見ているようで私たちは普段からちゃんと見ていないものが多すぎます。
人も、物も、起きたことも、今起きていることも。
そのほとんどをただ淡々と受け流し、そして忘れていきます。
見ていたかどうかも怪しいのに感覚的には見ていた気になっているんですね。
以前交通事故が起きる話に例えたものを出しました。
誰もが運転している時にまさか自分が事故を起こすなんてことは考えていません。
それでも事故は起こります。
事故が起こった後に「本当に見てたの?」なんて言われれば、果たして自分は本当に見ていただろうかと疑心暗鬼になるでしょう。
実際その多くが違うことを考えていたり、もしかすると「ながら運転」をしていたかもしれません。
「見ていないこと」からくる結果は事故に限らず様々な悲劇を生みます。
そしてそれらは、ちゃんと見てさえいれば防げるものがほとんどです。
自分の感覚なんて案外当てにならないものですよ。
人から言われて「いやちゃんと見てるし」って反射的に思う時ほど見直すチャンスです。
他人は見たもの、聞いたものからしか判断はしません。
あなたを見て「ちゃんと見れていない」と判断したのであれば、それが全てなんです。
自分では分かりません。
なぜならあなたの中の感情がそれを邪魔しているから。
よく見えていない状況を作っているからですね。
何でもかんでも人の言葉に耳を傾けることはありませんが、たまには自身の感情や主観を遠くへ置いて、一度その言葉に耳を傾てみてはいかがでしょうか(^^)
面白い発見が潜んでいるかもしれません。