忘れられない恋


こんにちは。

 

恋愛には様々な形があると思います。

遊びの恋、本気の恋。

 

何か目的があるわけじゃなくただプラトニックに楽しみたい恋愛とか、一つの目標に向かって進めていきたい恋愛もあります。

 

その中にはきっと、今までに経験したこともない燃え上がるような恋とか「これぞ運命だ!」と思えるような恋を経験される方もいるでしょう。

 

 

燃えるような恋、忘れられない恋。
そういうものとの出会いは、自分の意志だけではどうにもならないことが多いと思います。
 
人生で一番と思えるような幸せを噛み締めた次の瞬間には、極度の不安状態に落とされることもある。
 
足元が常にグラついているような、そんな感覚の中で精一杯自分の精神状態を維持しようとする感覚を味わう人は少なくないでしょう。
 
激しい恋愛はジェットコースターのように刺激溢れるものでもありますが、良いことばかりでじゃないのが辛いですよね。
 
 
けれど私は、そんな人生で一度あるかないかの経験を、できることならした方が良いと個人的には思っています。
 
それがどんな結果になったとしても、一生かかったって得られない経験や教訓を得るきっかけにはなったりするかもしれないからです。
 
不安の飼いならし方や、ある種の「悟り」の積み重ねにはなります。
 

 

以前聞いた仏教のお話の中に「薪と灰の話」というのがありました。

 

薪は火にくべるといずれ灰になります。
けれどもこの薪は、一旦灰になったら薪に戻ることは出来ません。
 
たしかに、もとは薪であったかもしれない。
でも灰になってしまった今ではもはや別の物体となってしまっているわけです。
 
これを "時間の経過で" 見てしまっている人は、そもそも薪と灰が別物になっているということがちゃんと理解できなくなってしまいます。
 
薪は薪だし、灰は灰。
なんなら薪になる前の立木は立木でしかない。
 
一見すべての物事が途切れず続いているように見えて、その瞬間瞬間で物事は完結しているわけです。
 
 
恋が熱く燃え上がれば上がるほど、薪が燃えていた時の暖かさや勢い、その時の炎は強烈に心と体に記憶として残ります。
 
この勢いよく燃えた薪が灰になったとき。
 
燃え上がっていた頃の記憶が鮮明であればあるほど、人は灰を見ながら実は灰を見ていないんです。
 
灰を見ながら熱く燃えている薪であった時のことを見ています。
 
けれど現実にはもう、その恋は灰になっています。
その現実を現実として受け止めるのは中々困難なことかもしれません。
 
けれどそうしなければ、ずっと灰を見ながらそれが薪だと妄想しながら過ごしていくことになります。
 
それはそれでとても苦しい期間を過ごすことになります。
 
 
現実を受け止める、灰を灰として見るというのは、きれいさっぱり忘れてしまうのとはちょっと違うと私は思っています。
 
きっと、その相手を愛したように誰かを同じように愛することはないかもしれません。
 
けどそれは、未練があるとか、今でも好きだとか、そういうことではないんですよね。
 
かつてあった激情や、「想い出」というほど温かみもないその "何か" に、何らかの解釈をつけて折り合いをつけていく。
 
それが現実を受け止めるということになるのではないでしょうか。
 
 
人って自分の意志とは関係なく生かされている部分が少なからずあります。
 
そして良くも悪くも、人はそのエピソードから逃れられないものです。
 
記憶から削除もできず、上書きもできないものとして、ただ一緒に歩んでいくしかないのでしょうね。
 
その時々では苦しく思うこともあるかもしれないけれど、人生に厚みを持たせるものとしては一つ二つ、経験しておくことも大事なのかもしれません(^^)