態度で示して良いときとダメなとき


おはようございます。

 

相手との関係性にズレが生じ始めるのは、決まって対話がおろそかになって時です。

これは恋愛に限らずそうですね。

 

「話さなくてもわかるでしょ」とか「そんなんいちいち説明するのめんどいわ」と対話を避けて、全て相手が察して動いてくれるのを期待するのはハッキリ言ってお子ちゃまな恋愛です。

 

人はそう便利な生き物ではありません。

というかロボットでもそうですよね(^^)

 

当たり前な話、SiriでもGoogleでも、要望を言わなきゃ応えてくれません。

 

その当たり前のことを、つい忘れてしまう時があります。

 

相手との距離が近くなると、ついつい私たちは "自分と同じように" 相手も物を考え生きていると考えてしまいます。

 

言わなくても分かると思ってしまうのは、"自分なら分かる" と思ってしまうからです。

 

それは一種の甘えでもあります。

 

 

いつか相手が機嫌を取りに来てくれるだろうとか。

自分の心の隙間はきっと相手が埋めてくれるだろうとか。

 

不満も不安も、すべて相手が解決してくれるだろうとつい錯覚してしまします。

 

けれど本当は不満も不安もすべて「自分の力」で解決していかなければならない問題です。

 

だって自分の心から生まれたものですから。

自分で処理していかなければなりません(^^)

 

そこで必要となるのが対話なんじゃないのかなと私は思っています。

 

一方的に要望を言い放つのではなく、自分の気持ちを知ってもらい相手の気持ちを理解してあげること。

 

そこで相手が「理解なんかしたくもない」という姿勢を取ってきたら、そのときに初めて対話を避ければいいと思うんです。

 

土俵に立ってくれない相手にはそれ相応の対応をしなければなりません。

 

籠城戦に持ち込むということですね。

 

「話さなくてもわかるでしょ」とか「そんなんいちいち説明するのめんどいわ」という態度はそうなって初めて取れる行動です。

 

「開城してもらいたいならそれ相応の対応をキチンとしてね」と堂々と言うことができるようになるわけですね(^^)

 

 

なんの努力もせず、いつも自分の機嫌を相手に取ってもらうようでは、いずれ愛想を尽かされて終わります。

 

しかるべき努力をするからこそ相手にもその努力を求めることができるんですよね。

 

相手も同様です。

 

「あれしろ」「これしろ」と求めてくるのなら、それ相応の対価を払ってから言ってきてくれとこっちは堂々と言うことができます。

 

 

恋愛はどちらか一方だけが頑張っても長続きはしません。

 

お互いが同じくらいのリスクを背負って、同じくらいの努力をするからこそ長く続けることができます。

 

甘えが出てしまうときは、もしかするとそのことを忘れてしまっている時なのかもしれません。