自分の生き方に誇りを持とう

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おはようございます。

 

先日こんな本に出会いました。

 

男の品格 気高く、そして潔く (PHP文庫)

男の品格 気高く、そして潔く (PHP文庫)

  • 作者:川北 義則
  • 発売日: 2009/05/02
  • メディア: 文庫
 

 

女なのに何読んでるんだって話ですが(笑)

 

女だからこそ男のことも知っていて損はないでしょう?(^^)

 

 

でも読んでみてほんとに良かったなって思いました。

 

「男とは何たるか」を辛口交じりでズバッと語る文体には「なるほど・・・」としみじみさせられるものが多くありましたので(^^)

 

特に気に入ったのは「男としての幸福論」「人としての幸福論」について書かれた一文です。

 

「男であれば自分の幸福を求めてはいけない」

「人は自分の幸せだけ追い求めて生きよう」

 

この二つは全く正反対のことを言っていますよね。

 

でも男として幸せを求めていくのであれば、両方とも欠かせないものなのだと筆者は語っていました。

 

 

前者は「与えられる幸せ」ではなく、男なら「与える幸せ」を掴みにいこうというお話です。

 

女性や子供が「私いま、すごく幸せ!」とか「ぼく、すっごく幸せだよ!」と言うぶんには何の違和感もないけれど、大の男が「俺、幸せ!」なんて言ったら「お前どっかおかしいんじゃないのか」と心配になります。

 

まっしぐらに自分の幸せだけを追い求める姿は男性の属性にはそぐわないというお話でした。

 

 

人間にとっての最大の幸福は「人の喜ぶ姿を見ること」です。

 

女性や子供をはじめ、身の回りの人達の幸せの手助けをすることこそが男の中のヒーロー願望を満たしてくれるのかもしれませんね(^^)

kpcpcho.hatenablog.com

 

 

反対に、後者の「人は自分の幸せだけ追い求めて生きよう」というのは、「自身の幸せ」を追い求め楽しく幸福に生きることに専念しようというものです。

 

人は良くも悪くも他人に興味を持ちすぎます。

 

他人を何とかしてやろうとか余計なことを考えるから無視されたときにイラついたり、「正しさ」を求めすぎるからちょっとした不正の臭いに過敏になってやきもきする。

 

他人を巻き込んだ先に、自分の本当の幸せはないのかもしれませんね。

 

 

ならばいっそ開き直って「人は人、自分は自分」と考え直してみると案外肩の荷も軽くなるのかもしれません。

 

人なんて死んだらおしまい。

正しく生きても悪く生きても行き着く先はみんな一緒です。

 

なら「私は私の考えで楽しく生きる」と心に誓ってニコニコしていてもいいんじゃないでしょうか。

 

少なくとも機嫌良く生きていくことは出来ます。

 

 

自分の想い通りにならないとき、失敗したとき、振られたとき、人生お先真っ暗になる人のほとんどは「条件反射」なのだと筆者は言います。

 

大抵は思い込みと刷り込みによって起こるトラップであり、知恵を持つ人間の弱点なのだと。

 

特に感性が鋭い人や物事がよく見える人というのは他人の生き方や意見もよく見えてしまうものです。

 

そういうものに左右されず自分なりの生き方を確立することこそが生きやすい未来を作るきっかけになるのかもしれませんね。

 

 

「結局矛盾した幸せなんじゃないの」と思ったあなた。

 

ところがそうでもないんですよ(^^)

 

人に与えること自体に喜びを見出すのは、相手本位ではありません。

 

実は自分本位なんですよね。

 

だって自分が「他人の喜ぶ姿が見たくて」しているわけですから。

 

相手を幸せにしつつ、ちゃっかり自分も幸せを手に入れちゃってるわけです。

 

そしてこの幸せを追い求めることこそが自分なりの生き方なのだと決めてしまえば、ある意味開き直りの世界です(笑)

 

「私は私の考えで幸せに生きる」とは「人に与える喜びを噛み締めながら生きる」というなんとも男前な生き方なんですよね。

 

まるで映画やアニメに出てくるヒーローのような生き方です(^^)