男として、女として

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こんにちは。

 

男らしさ、女らしさと聞いて皆さんはどんなことを想像されるでしょうか?

 

「男であればこうあれ」とか、「女であればこうあれ」みたいな押し付けともとれるような物言いだとか差別だなんだと非難されそうですが(^^;

 

私はこの「差別」はあって然るべきものだと思っています。

 

もちろん限度はありますけどね(笑)

 

 

世の中なんでもかんでも平等をスローガンに掲げ、少しでも決めつけるような言い方、もしくは卑下するような言い方が罰せられるようになりました。

 

もちろん性別で区別するような言い方はその人の存在を尊重できていない部分もあると思うので注意すべきところではあります。

 

けれど男と女で構造がそもそも違うのにそこに平等を照らし合わせるのには無理があるんですよね。

 

平等の場でも、やはりどうしても「女性性」は出ますし「男性性」も出ます。

 

それなのに社会に出た途端それを一切無視して、すべてを「同一性」として見ようとする動きがあるように感じてなりません。

 

全然違うのにね(^^)

 

 

大切なのは同一性というのを言い訳に使うべきではないということです。

 

平等を言い訳に男らしさや女らしさを捨ててたら話になりません。

 

自分からそれを諦めてしまったら、何のために恋愛があるのか分からなくなりますよ。

 

自分の中の「男」

自分の中の「女」

 

それを無視したり諦めたりしないでほしいんです。

 

 

いつの時代でもみんな他人には「男らしさ」「女らしさ」を常に求めています。

 

「あいつは男らしくない」だとか。

「あいつは女らしくない」だとか。

 

他人には厳しい目を向けるくせに自分には寛容なものです(笑)

 

男の子はヒーローに憧れて、女の子はお姫様に憧れます。

 

男の子は「ヒーローみたいに誰かを守れる男になりたい」と夢見ますし、女の子は「お姫様みたいに綺麗になって守られる存在になりたい」と夢見るものです。

 

その気持ちって大人になったら夢見ちゃいけないんでしょうか?

 

 

男性はいくつになっても誰かを守り頼れる存在になれるはずですし、女性はいくつになっても綺麗で守られる存在になれるはずです。

 

その二つの欲があって初めてお互いがお互いに意味を見出せるのですから。

 

男性には女性がいなければ男として成り立たないように、女性には男性がいなければ女として成り立ちません。

 

そこに平等も何もないのです。

 

 

自分の中の男性性や女性性を無視せず、心の奥底にあったはずの「なりたかった自分」というのを少し考え直してみるのもいいかもしれません。

 

自分が男としてなりたかったもの。

自分が女としてなりたかったもの。

 

それがすなわち自分が恋愛に求めるものなんだと思いますよ。