恋愛するのに不便な時代
こんにちは。
前回の続きです。
「遠距離恋愛」がお互いにとって良い関係を築くきっかけになるかもしれないという話をしました。
遠距離というだけで会うことを問答無用に制限されるんです。
つまり以前もお話ししたように、お互いに歩み寄る努力をしなければ会えない、続かない関係に強制的にもっていかれるわけですね。
それを足枷のように感じるか、自分の価値を高めるためのハードルと捉えるかによって遠距離に対するイメージもだいぶ変わってくると思います。
人は何かを手にするために苦労した記憶を、そのまま「そのものに対する価値」に投影させます。
例えば苦労して手にした資格とか、大金をはたいて買った高級ブランドなど。
それを手にするためにかけた時間や苦労の総量が、そのまま「大事にしたい気持ち」の総量に比例するんです。
若いころ苦労して手に入れたものを、いつまでも大事にしている人はかなり多いと思います(^^)
恋愛も同じように、その人に対しどれだけ多くの時間を費やし苦労してきたかで価値は変わってきます。
それなのに今の時代、多くの人が手軽に手に入れることを重視してしまっているんです。
これは世の中が便利になりすぎてしまっている弊害でもあります。
出会いも手軽、アプローチも手軽、結婚ですら手軽な時代です。
それを良いことだと捉えることもできますが、私はあまり良いことばかりではないと思っています。
手軽に手にできるものは、それ自体をも軽んじる原因になります。
あなたという存在の大事さ、貴重さを感じにくくなってしまうんです。
ある意味、恋愛に置き換えていえば不便な時代になったともいえます(^^;
遠距離恋愛の話に戻しましょう。
距離という物理的なものは今の時代でも手軽にすることはできません。
移動手段が便利になっても、どうしてもかかるコスト、かかる時間があることに変わりはありませんから。
何かしら苦労しなければ手に入れられない状態なんです。
今の話の流れで言うと、これってかなり都合の良い話だと思うんです(^^)
もちろん苦労してでも手に入れようと思ってもらわなければ意味がありません。
そのためにもまず先に燃料を与える必要はありますが、その後は放置していても勝手に燃え上がってくれるので楽チンです(^^)
自分の感情をうまくコントロールして自爆でもしない限り、自然と自分の価値を高めてくれるのです。
たしかに不便ではありますが、その不便さをも楽しむことができればさして距離など気にならなくなります。
そしてそれができるのがまた、大人の恋愛とも言えます。