偶然は必然に限りなく変えられる


こんにちは。

 

"期待する" という言葉は色々な意味合いで使われることがあります。

恋愛でもよく使われますよね。

 

「自分の行動に共感してくれないかと期待する」

「自分の行動を喜んでくれないかと期待する」

 

相手に対し「○○してくれないかな」と期待するのは、それだけ彼や彼女のことを特別に思っているからです。

 

特別な存在だからこそ、してほしいことやこうなってほしいという願いを持ってしまうんですよね。

 

 

けれど、その期待があまりにも大きく膨れ上がってしまうと、それが叶えられなかった時の落差にひどく苦しむことにもなります。

 

○○してくれなかった→自分は愛されていないんだ、嫌われているんだ

 

こういう風に自分で勝手に答えを作り出してしまいます。

 

それをしてくれなかった理由なんて「嫌われているから」以外にもたくさんあって、むしろそっちの理由の方が妥当であることが多いです。

 

「たまたま忙しくてできなかった」とか、「そもそもあなたがそれを望んでいるとは知らなかった」とか、普通にあり得そうな話です。

 

期待のし過ぎは、ある種コミュニケーションを疎かにしている証拠でもあるんです。

 

だから相手は気付けず、あなたは要らぬ不安や不満で苦しむ羽目になる。

そしてそれは決して相手のせいではないんですよね。

 

 

してほしいことや欲しい未来があるのであれば、それは自分から掴みにいくしかありません。

その努力はする必要があります。

 

なぜなら、それを欲しているのが他ならぬ「あなた」だからです。

 

欲しい未来は自分でコントロールして手に入れていきましょう。

 

そうできるものだと思えれば、あらゆることを自分主体で活用できるようになります。

 

メールが欲しいのであれば、そうなるよう自分で仕向けていくしかありませんし、仲良くなりたいのであれば、自分でそのきっかけは作っていかなければなりません。

 

 

誰が何をしてくれない、じゃないんです。


あなたがどうにかして、あなたが納得する結果をもたらすように働きかけることです。


周りの誰かに働きかけるのでもいいし、何らかの手段を使うでもいい。

 

偶発的なことを受動的にただ待つのではなく、ありとあらゆる手を使って必然を作り出す努力をしていきましょう。

 

「そんなのムリ。できっこない」と思っていても "何もできない" なんてことは早々ありません。

 

必ず今できることはあります。

 

それはもしかすると「何もしない・接触しない」ということかもしれませんが、それもまた欲しい未来を手繰り寄せる為の一つの決断でもあります。

 

相手をもう一度再熱させるための準備をする、ということですから(^^)

 

未来に目が向かない人は、未来をよくするための種まきもずっとできないことになります。

 

 

「こうなったらいいな、ああなったらいいな」と偶然ばかりを追っていては、永遠に流される人生のままです。

 

偶然というのは必然に限りなく変えられます。

それを知った瞬間から、行動はどんどん変わっていきます(^^)