自分を変えるきっかけ
おはようございます。
私たちは普段、人の目を気にしながら生活しています。
外を歩いているとき、電車に乗っているとき、会社や学校にいるとき。
社会の中で生きていくというのは人の輪の中で生きていくということです。
その輪の中で逸脱しないように(あるいは意図して逸脱するように)身を整えたり着飾ったり振る舞いを変えたりしています。
全て人目にさらされているからこそ起こる反応とも言えます。
では人の目がない状況のとき。
私たちはどのくらい「外にいる時の感覚や意識」を保って生活しているでしょう。
たとえば家にいるとき。
外にいる時の感覚を保ってある程度の緊張感を持ち続けることは社会にさらされている時以上の努力を要します。
なかなかこれが至難の業なんですよね(^^;
休暇だったり家での生活が主体となっている人は、一目を気にしなくて良いからとついだらけてしまいがちです。
「毎日緊張感もって生きてるし、たまのリラックスは大事でしょ」
と思う人もいると思います。
ごもっともな意見ですね(^^)
体を休めることはとても大事です。
でも、「体を休めること」と「意識して生活すること」は次元の違う話です。
緊張感もって生活する、というとなんだか疲れてしまいそうなイメージもあるかもしれませんが、ようは「自分にふさわしい生活をする」ということなんです。
一日中髪はボサボサ、よれた部屋着、顔もろくに整えずそのまんま・・・
その姿を等身大の鏡に映したとき、「これが私(俺)!」と胸を張って言えるのかどうかということです。
人生には「独りの時間」と「独りではない時間」の二つがあります。
どちらにも多くの時間を割いて生きています。
どちらか一方だけに全力投球してても、もう一つの側面がだらけていては「満足いく自分」を育てることは出来ないと私は思います。
「理想の自分」は自らの手で作っていくしかありません。
そしてその理想に相応しい生活も自分にしか分かりません。
「『理想の私』はどういう生活をして、どういうものを食べて、どういう服を着ているのか」
絶対にあるはずです(^^)
綺麗な部屋で綺麗な空気を吸って綺麗な格好すると、これが本当の自分なのだと思えるようになっていきます。
またネットやらSNSやらの中で溢れている「当たり前」に触れなくなると、本当に理想とするもの、相応しい姿も見えてきます。
煩わしいものはとにかく片づけてしまいましょう(^^)
物も、情報も、あなたにとって「煩わしい」と思うものは全て片付けてしまい、「心地いい」と思えるものだけそばに置く。
いつかそれが当たり前となりそれを維持したくなっていきます。
当たり前の質が上がれば必然的に自身の価値も上がっていきます。
「今の私(俺)にこれは相応しくない」「今の私(俺)に相応しい」
これの判断基準も上がります。
基準が上がるから周りの環境はまたさらに変わっていきますね。
人間関係も変わるかもしれません(^^)
自分を変える第一歩となります。